タイ旅行記(2001.04.27.〜2001.05.02.)


 行きは成田からバンコクまで6時間、バンコクで飛行機を乗り換えてプーケットまで2時間でした。
時差は日本より2時間マイナスです。
飛行時間もそこそこ許容範囲なうえ、時差が少ないのでかなり楽な移動です。
旅行の後半はプーケットからバンコクへ移動しました。

 アメリカと比べて、地味な感じな国という印象が個人的にはあり、あまり期待していなかったのですが、その予想を大きく裏切り、旅行の内容はたいへん充実したものでした。
 なんといっても食事がおいしかった。特にトムヤンクンは超美味です。すっぱさと辛さが微妙な感じで交じり合って、他にはない味です。世界三大スープのひとつというのも十分納得できます。その他、タイ米のチャーハンもまたおいしく調理されていて、素材をいかした工夫がみられました。とにかく、でてきたものをばくばく食べてしまいました。(帰国後たいへんな事態になるとは・・・・。)

 観光地もたくさんありました。ハリウッドとは違い人工的な演出はなにもないのですが、その素朴さにとてもリラックスできます。静かな海をシーカヌー(てこぎのボート、船頭さん付きで乗客は座ってるだけ)でゆっくり観光するなんてことは都会ではできない贅沢です。周りは大自然そのものです。また、ショットガンを実射できるなんて思いませんでした。

(記2001.05.06.)


ただ、ひとつだけ問題がありました。帰国して次の日から体調を崩しました。食べ物があたったのだと思います。
いくつか思い当たるふしがありますので、今後の注意のためここに書いておきます。
予想原因1)
辛いものをたくさん食べたため胃腸が弱り、抵抗力が落ちた。
辛いものはあまりおいしいからといって、食べ過ぎないほうがいい。
予想原因2)
ボトル水を買ったが容器に穴があいていた。
しかし、気にせず、別の容器にいれて飲んじゃいました。
雑菌がはいっていたのかもしれない。行動は慎重に。
予想原因3)
歯磨きに水道水を使った。
できれば、ボトル水を使用したほうがよかった。
そこまで気を使うべき。

それでは帰国後の病状の様子等をまとめさせていただきます。
帰国後1日目:
水のような下痢の症状が一日中続く。(胃腸薬でなんとかしのいだ。)
帰国後2日目:
町に食事にでたら、めまいがして、倒れそうになった。
あわてて公衆電話でタクシーを呼び、緊急病院へ連れて行ってもらった。
1件目の緊急病院では、そういうのはやってませんといわれた。
病状を説明しているうちに、他の患者がどんどん離れていった。
マラリアなどの伝染病と思ったらしい。
2件目の緊急病院は比較的大きかったので診察してもらえた。
熱が38.3度もでていた。点滴を2時間されて、薬をもらった。
帰国後3日目:
熱はおさまったが、まだ胃腸の機能が低下している模様。
まだ、吐き気がおさまらない。また、胃腸薬をのむ。
帰国後4日目:
まだ本調子ではないが、消化のいいうどんなどをたべてみました。
回復の兆しが見えてきました。明日から会社、大丈夫か心配だ。

(記2001.05.06.)


 それで、「海外旅行に行くときは、食べ物、水には十分気をつけましょう!」ということで、写真のコーナーへいきたいのですが、この話、不幸にも、もう少し続くのでした。

 会社には帰国後4日目(GW最終日)の翌日からちゃんと行くことができました。悲劇はその週の金曜日に再びおこりました。この日は私の担当製品の30台出荷パーティが熱海でおこなわれました。この週の水曜日は仕事が深夜の1時に及び家に帰れず、カプセルホテルに泊まりました。そんなことで、少し疲れは残っていたのですが、おめでたいパーティなので、定時後、同僚と電車で熱海に向かいました。ホテル到着後、風呂にはいり、宴会にのぞみました。ズワイガニの食べ放題でした。宴会半ばで、寒気がしたのですが気にせず、カニと格闘していたのですが、いつまでたっても寒気がおさまりません。まさか、熱でもでてるのではと思い、フロントで体温計を借りて体温をはかったところ、なんと38.5℃です。この数字をみて、余計気分が悪くなりました。フロントに薬がないか尋ねたところ、近くにまだ開いてる薬局があるので、自分の症状を説明して薬を買ってきたほうがよいと素っ気無い返事。仕方がないので、もうろうとしながら、スリッパのまま、単身外へくりだしたのでした。

 ここは、温泉街。外を一人であるいていると怪しいおばさんが声をかけてきました。
「おにいちゃん、どこいくの?」
「具合が悪くて、薬局へいくんだよ。」と生返事をし、薬局方向へ向かいました。
結構歩いても、薬局は見当たりません。だんだん具合も悪くなってきました。もうもどるしかないと思い始めたころ、さっきのおばさんが、男の人と車でやってきて、
「大丈夫かい?緊急病院があるから、連れて行ってあげるよ。」
といってきました。変な病院につれていかれてしまうのではないかという考えが頭をよぎりましたが、もうふらふら状態なので、そのまま車に乗り込みました。5分程度で、緊急病院についていました。世の中、まだまだ捨てたもんじゃありません。怪しいと思ったおばさんにはたいへん失礼をいたしました。見ず知らずの人間を病院まで車でのせくれてありがとうございました。ただ、道端で、知らない人に声をかけるのはやめたほうが良いのでは?

 緊急病院では、解熱剤と抗生物質をもらい、再びホテルへもどりました。私を除いた他の参加者の皆さんは2次会などをエンジョイしていましたが、私は一人部屋で寝ておりました。次の日、土曜日。朝、熱は多少さがり、なんとか、電車で自宅にたどりつきました。で、熱をはかってみるとまた38度を超えている状態でした。もらった薬もまだあったので、それを飲み、様子をみることにしました。ここで、またあらたな問題が発生しました。排便時の激痛です。この痛みは排便後も続くのです。日曜日は、熱とお尻の痛みとの戦いでした。とにかく、高熱のため、食欲もなく、衰弱するのみだったので、栄養をとり安静にしていました。その甲斐あって、夜には、快方に向かっているのを感じました。しかし、お尻のほうは、一向に治りません。薬局で、座薬を購入し、使用してみたのですが、あまり効果がないように思えました。

 月曜日。熱がようやく下がりました。いったい高熱の原因はなんだったのかまったくわかりません。でも、とりあえず、熱がさがったおかげで、動けるようになりました。ただ、お尻の問題と、まだ、頭が少しふらふらするので、会社を休みました。お尻の問題が、ぜんぜんよくならないので、深刻なのではとインターネットで調査していると、近くにいい病院があることがわかり、行って見ました。簡単な問診のあと、患部をみせてくださいと言われ、びっくりしました。そして、お尻に指を思いっきり入れられ、さらに広げられました。
「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」
ものすごい激痛が全身を走りました。「やめてください。先生!」と叫びました。
最初は抵抗していた先生もようやく観念したみたいで、
「女性はこいうのは強いけど、男性はだめだね。ご苦労様。」
といって、やめてもらえました。
診断の結果はお尻が5、6mm切れているとのことでした。
原因は、下痢が続いたときに、お尻に無理がかかり、亀裂がはいった。その後、便が回復したときに、切れてしまったのではないかというものでした。お尻を広げたのは、患部がウイルスに犯されていないかみるためだったようです。手術の必要はなしでした。内容をずいぶんマイルドにオブラートにおもいっきりつつんで表現してみましたが、内容は十分伝わったのではないでしょうか。とにかく、辛かった。

 1週間後の謎の高熱、そして、切れたお尻。いったい、この後、どんな展開が私を待っているのでしょうか。タイ旅行は終わっても、私のタイ旅行はいまだ続いています。本旅行中は本当に楽しくて、また、来ようと思っていたぐらいだったのですが・・・・・。

(記2001.05.14.)


 なんとか、火曜日から出勤しました。病院でもらった軟膏が結構いい感じです。辛かったのは、通勤です。家から会社までは2時間。4つの乗り物を乗り継ぎます。問題は振動です。乗り物の振動がお尻に響くのです。座ることはまずできませんでした。車両の加減速、走行中の振動が、患部を刺激するのです。立ってみても、駄目です。地下鉄は、駅が多すぎます。なんで、あんなに止まるんだ。JRは車両が悪い。もっと振動低減しないとお客さんが逃げちゃうよ。

 また、排便も辛かったですが、胃腸薬でうんちを柔らかくしているので、できないことはありませんでした。ただ、硬いうんちが心配で食欲がなくなってしまいました。肉をたべるとまずいので、毎日、消化のいいうどんやおかゆばっかりです。これじゃまったく力がでません。一日中脱力状態でした。あと、ファイバー系のゼリーなどです。

 現在は、歩くときの痛みもなくなり、あとは、排便時の軽い痛みのみになりました。あと1週間で完治でしょう。そういえば、2週間後にまた、病院でみせてくださいと先生が言っていた。また、お尻に指をいれられてしまうと思うと行きたくありません。直ったら、行かなくてもいいのかな。

 謎の高熱の原因を考えるに、たぶん、切れたお尻と関係があるのではと思えてきました。深く切れたために、ウイルスの侵入を防ぐために、体の自衛本能で熱がでたのではないでしょうか。もしそうなら、一連の問題が全て、下痢に結びつきます。あの下痢さえなければ、時差のないタイ旅行は、楽で楽しいものだったのに。でも、食事、水の暴飲、暴食は旅行先では避けるべきですね。あまり、食事がおいしかったので、この教訓をすっかりわすれていました。そういえば、香港へ行った時は、腹痛を恐れて、あまり食べなかったし、歯磨きもボトル水を使っていたのを思い出しました。今回の騒動は、本当にいい教訓になりました。もうこりごりです。

(記2001.05.20.)
2日目。
コーラル島。
プーケット島の南にある小さな島。マリンスポーツができます。スキューバダイビングとパラセーリングをやってみました。ダイビングでは水深5mぐらいの所を潜っただけ。水の透明度もいまいちで、物足りなかった。
象乗りトレッキング。
1回20分程度で、700バーツ(約2300円)。
野原だけでなく起伏のある地形をぐるっと回ります。
シートには安全ベルトもなく、気をぬくと危険。
馬とは、目線の位置、歩幅など違う。
象使いが鋭く尖った凶器で、象を操っていた。
象使いは象の首に座っているだけ。
3日目。
パンガー湾観光
プーケット島から橋を渡りタイ本島へ。
そこから、また水上ボートでジェームスボンド島へ行きます。下部がくびれたこの岩がとても印象的。
映画「007黄金銃を持つ男」の舞台です。
プーケット射撃場
2日目に45口径のピストルを撃ちました。あんまりおもしろかったので、無理を言って、もう一度、連れてきてもらいました。2回目はショットガンに挑戦です。銃の前部をスライドすると、薬きょうが飛び出し、自動的に次の弾が装填されます。射撃時の衝撃もかなり大きかった。700バーツ(約2300円)で10発野外で体験できます。
おかまショー。
プーケットでは有名な歌有り、踊り有り、コント有りのショーです。約60分です。出演者全員おかまです。ショーの後には、劇場外で記念撮影ができます。20バーツのチップでおかまさんと写真をとることができます。
4日目。
バンコク寺院観光。
ワットプラケオ寺院、ワットアルン寺院、ワットポー寺院の3つを巡りました。左の写真はたまたまとおりがかった、修行僧さんとのスナップです。
タイの人にとって出家は当たり前のことで、子供の時に経験する人が多いようです。
5日目。
アユタヤ遺跡観光。
14世紀から400年間栄華を極めたアユタヤ町。
山田長政もアユタヤ王に仕えました。戦争で破壊されて、修復もされていない仏像が多いです。とのかく、暑かった。穴の開いたボトル水を買ったのもこの途中。
ムエタイ観戦。
タイといえばムエタイです。
格闘場は異様な雰囲気。2階席は地元のおっさんが賭けをやっています。パンチ、蹴りの度に、凄い盛り上がりです。会場全体が振動するほど。試合後、チャンピオンと写真をとることができます。それにしても、試合前の踊りと試合中の音楽はタイって感じです。
6日目。(旅行最終日)。
この日、バンコク空港の搭乗口からバスで飛行機まで移動中に山広さんがカメラを無くしてしまいました。これが、カメラを無くす数分前の映像です。左手に確かにカメラを握っています。この写真は搭乗口での画像です。このあとすぐカメラが消えました。偶然デジタルビデオが決定的瞬間をとらえていました。




2001.05.06.更新
2001.05.14.更新
2001.05.20.更新