ドバイ旅行記(2008.04.29.〜2008.05.04.)

 ドバイは遠い。遠すぎる。忘れていました、遠距離海外旅行の苦しさ、辛さ。2000年のアメリカオーランド旅行。遠くて、体力的にきつかったので、それ以来、遠距離は避けてきました。目的地は時差の無いところ、楽なところに決めてきました。ドバイがこんなに遠いところだったとは、うかつでした。うっかりしてました。

         成田11:00(日本)発 → 上海16:00(日本)着     5時間
         上海17:00(日本)発 → ドバイ26:00(日本)着    9時間

 合計14時間のフライトです。しかし、ドバイ着が現地時間の午後9時(時差5時間)。ホテル着ですぐ眠れます。ヘトヘトで到着して寝ようにも現地時間がおもいっきり昼だったりするアメリカに比べると、西側への移動はまだ楽かもしれません。

 移動時間が長いおかげで、最近の旅行にはなかった、まさに海外旅行気分を味わえました。昨年のグアムは飛行機の搭乗時間がたったの3時間、もう少し、飛行機に乗っていたかったものです。狭いエコノミーシートでの拷問のような時間、飛行機の轟音、窓を閉め切った暗い客室、現地到着後の時差、海外旅行特有の不思議な感覚をひさしぶりに味わえました。でも、当分は、遠距離は遠慮したいです。

 退屈きわまりない機内。どう過ごすかが問題です。おっさんは高校時代の英語の教科書を持ち込み勉強をしていました。恐るべし。私は暇つぶしグッズをたくさん持ち込みました。雑誌、ハードディスクプレーヤ、そして、nintendoDS。なかでも、DSは大活躍。バッテリーが切れるまでゲームをやりました。おっさんのお気に入りはブロック崩し。古いゲームがお気に入りのようです。この日にあわせて、昔懐かしいパドルコントローラ(ダイヤル式)を購入してありました。機敏にボールをコントロールできます。それから、脳を鍛えるトレーニング、逆転裁判、などなど。国際線なので、映画もやってました。モニタ前の液晶スクリーンにて。スイニートッドやランボーなどの新作です。私はマトリックスの一作目を見ました。何回みてもおもしろいものはおもしろい。

(2008.5.25.記)



 ドバイはバブルである。全世界の建設用クレーンの1/3が現在ドバイに集結しているらしい。建設ラッシュである。幹線道路の周辺には建設中のビル、ビル、ビル。普通のビルではない。超高層ビル。デザインがいかにも派手である。さらに現在世界一高いビルとなるであるだろうバージュドバイが建設中。高さ800m以上。ドバイのどこからでも見る事ができます。この建設に集められた人は約5000人。すごすぎる。あまりの建設ラッシュに、労働者不足ともなっている。労働者はほとんどが外国人。インド、パキスタン、アフガニスタンの出稼ぎ労働者。TVの特集でやっていたが、これらのビルの80%は投資目的で作られている。金持ちが買っては転売を繰り返す。まったく実態がない。このままビルを作っても、ここでビジネスをする人は少ないのだろう。建設が終わった時点で、バブルが崩壊するのではないだろうか。

 1990年代の日本に似ています。というのは、

         ワイルドブルーヨコハマ(波の出るプール)
         東京マリン(絶叫ウォータパーク)
         SSAWS(ザウス、人工スキー場) 

といった既に日本ではつぶされてしまっている施設があります。昔は新しいモノ見たさで、おっさんと良く行ったものです。これらは時代の変化として姿を消してしまっています。しかし、ドバイにはあります。バブル崩壊とともに、これらも姿を消してしまうのでしょうか。昔なつかしく思いました。しか〜し!、日本と違うところ、それはオイルマネー!借金大国に日本と違って、ドバイには豊富な資源、資金があります。日本人には想像すらできないほどの、潤沢なお金。お金があれば何でもできる。日本では、バブル崩壊が起こりましたが、ドバイは今後ずっとバブルなのかもしれません。今後、どうなっていくのか、目が話せません。

(2008.6.1.記)



 旅では人との出合いが楽しい。コミュニケーションが楽しい。会話が楽しい。別に私が英語を趣味にしているからではない。現地の人とのなにげないやりとりが、このうえなく、旅行の臨場感をもりあげる。現地でしか体験できない旅行の味わいである。決して、難しい話をするわけではない。どこから来た?いつ来たの?どこかおもしろい所はある?トイレはどこ?などの、ちょっとした事から会話がはじまる。英語なんかかたことでも、十分コミュニケーションはとれる。かえって、ブロークン英語の方が通じる。文法など気にしない。日本人は、ちょっとした間違いを気にしすぎる。学校の英語教育が悪い。英語とはそういうモノではない。単なるツールである。それも実用的なツールである。海外の人(英語が母国語でない人)はそのツールをうまく使っている。決して、難しく考えていない。日本人のように英語にたいするアレルギーもない。ドバイの人は英語は話せるが、それほど達者ではない。せいぜい、日常生活をこなせる程度である。おっさんも、飛行機の中で勉強した英語を使って、どんどん話しかけていた。全く、気おくれしていない。さすが、弁護士だ。

今回の旅行は本当にいろいろな人と話をした。ドバイには、観光客、労働者など、ほとんどが外国人。すごい状況である。

タクシーの運転手たち。インド、パキスタン、アフガニスタンから来ている出稼ぎです。休日なし。体調が悪いときのみ休み。3年働いて、2ヶ月間休みをもらうような労働条件。つらそうです。

東海岸ツアーで一緒になったおばちゃん。70代ぐらいか。中国の大学で英語文学を教えているらしい。甥っ子が大学で考古学を専攻しているそうで、ツアー中はアンモナイトなどの化石はないか、珍しい石はないのか、ガイドさんと話をしていた。東海岸ツアーの後は、アブダビツアーにも参加するらしい。この年齢ですごい体力である。ドバイには知り合いが住んでいるらしい。前日には、例の三日月ホテルの展望レストランで、人工島をながめながら、約1万円のコーヒーを飲んだといっていた。前日の予約が必要なようで、そのドバイの知り合いが全てアレンジしてくれたとのこと。中国から一人でドバイまでやってくるとは驚いた。今度日本にきたら案内してあげると名刺を渡しておいたが、連絡がない。そんなものか。少し残念である。

最終日にビーチでレバノンからきた若者と話しをした。レバノンとはどこにあるやら、私は良くわかりませんでした。日本が好きみたい。写真をとってください、と頼んだら、こんにちは、と話しかけてきた。私はやはり見た目はそのまま日本人なのだろうか?彼はなんと6ヶ国語を話せるといっていた。恐るべしである。彼が、私に「ほにゃらまして〜」とか言っていたのですが、何を言っていたのか、その時はさっぱりわからず。あとで気がつきました。彼は、「はじめまして!」と言っていたのです。あらためて思ったのですが、私の英語も、少し発音が違うだけで通じないことがあります。日本語も同じだと痛感しました。彼は、日本の映画が好き、北野武の映画が好きだと言っていました。大きな刀で切りつけられて、血がふきだすようなのがすごいと言っていました。

(2008.6.22.記)



 カメラを紛失した。おっさんだ。タクシーに置き忘れた。3日目のプールの後だ。

 プールは楽しかった。しかし、意外に寒かった。夕方、終了時刻となり、着替えを済ませ、タクシー乗り場へ。タクシーはどんどん来た。タクシー待ちの列に並びながら、食事をする場所をガイドブックから探した。良い場所をおっさんが見つけた。繁華街だ。タクシーで20分程度。タクシーに乗り込み、場所を伝えるが、いまいちわかってくれない。地図を見せてもわかってないよう。そのレストランの近くにドバイ博物館があるので伝えてみる。そこならわかってくれた。まずは、ドバイ博物館に向かってもらった。道路はいつもの渋滞。混んでいた。ほとんど進まない。始めは、しょうがないとあきらめていた。ビデオで町並みを撮影したりしていた。ところが、だんだん具合が悪くなってきた。吐き気がしてきた。ドライバーの運転が荒いのだ。ブレーキが荒い。車がちょっと進むたびに、激しいブレーキング。軽く車酔いの状態になっていた。早く出たい、早く出たいと思っていた。お腹もすいてきた。かれこれ、1時間はこの状態だった。そのうち、街も近づき、レストランもすぐのところまできた。タイミングのいいところで、赤信号で止まった。これはチャンスと思い、車を降りることに。道路でもあり、支払いをさっさと済ませ、あわてて車を降りる。降りてすぐ、おっさんが、カバンを開け、何かを探しはじめた。どうしたのか?何かがないらしい。聞いてみると、カメラとのこと。焦った。そうこうしているうちに、青信号となり、車が動き出した。おっさんは、まだ、本当になくなったかどうか、捜索中。車がだいぶ離れたときに、本当に無くなったことが判明。あとの祭り。車をおっかけようにも、完全に見失っている。そうか、俺が途中で降りようといわなければ、こんなことにはならなかったと、かなり後悔をしたが、いたしかたなし。その後、歩いて、そのレストランに到着はしたが、そのレストランは倒産?していて、看板はあるが、店はやっていないもよう。悪い事は重なるものだ。しょうがないので、見知らぬレストランでお茶を濁す。

 タクシーで紛失したモノはどうなっていくのか、帰りのタクシーの運転手に聞いてみた。ドバイの交通センターか、警察だという。まずは、無くした場所を特定して説明できるようにしなければならない。ホテルのフロントで詳しい地図を要求したが出てこない。観光マップしかない。これでホテルをやってけるのか?まったく、らちがあかないので、ホテルのインターネットでグーグルマップで探索。ようやく場所を特定できた。さすがインターネット!その後、交通センターにホテルから電話してみた。ドバイのタクシーは約8000台。本当に見つかるのか。メジャーなタクシー会社の電話番号を聞き、電話してみる。日にち、時間、カメラの機種などを伝え、後日連絡してくれるように頼んだ。こういう時に英語が役に立つ。かすかな希望を胸に就寝。次の日は終日オマーン観光。ホテルに到着後、ホテルフロントに連絡がきているか確認してみるが、なかった。

 最終日の午前中は旅行会社のツアーに参加。ガイドさんにデジカメ紛失の件を話し、再度、旅行会社を通して、問い合わせてもらう。しかし、見つからず。まだまだ諦め切れず。もしかして、警察に届いているのではないかと、今度は、警察の場所をガイドさんから聞いて、直接行ってみることに。あわよくば、無くしたという証明書を警察に書いてもらえれば、旅行保険がまかなってくれるのではと期待をしてみた。ツアー会社の帰りの車で警察署まで移動、入ってみる。入り口には、機関銃をもった警察が警備。ものものしい感じである。警察署に入る。遺失物コーナーを探す。入り口に人がたくさんならんでいた。聞いてみると、交通事故関係らしい。奥の遺失物コーナーを案内される。ここの担当は英語がだめらしい。なかなか話が伝わらない。なんとか、遺失物のリストを見せてもらったが、ほとんど記述がない。いい加減なものだ。次に、紛失の証明をしてもらおうと交渉するも、英語が伝わらない。困った担当者は、別の担当者を紹介してくれた。そこは、奥の別室にあった。普通の旅行者はここまで立ち入らないであろう。警官はまた銃をもっていた。ここにはパソコンがあった。遺失物のリストを見せてくれといったが、データベース化されていないようだ。遺失物証明のサインを頼んだが、何でサインしなきゃならんのだ?という感じでとりあってくれず。おっさんの熱意、熱弁も伝わらなかった。ここまでやって、見つからないので、もうあきらめるしかない。結局、警察署を離れた。。。無念。

 さて、帰国後の話。粘着質の性格の我々なので、次は日本の旅行会社に直接相談してみた。帰国後の紛失物捜索は別料金がかかるとのこと。ここまできたのだから、別料金を払うことはまったく問題はない。でも、こういうケースではほとんど無くしたものはもどってこないらしい。また、現地旅行会社から、もう捜索できないとの回答もあった。ということで、万事休す。保険での保障について、契約書をもう一度読み返してみたところ、今回のような置忘れについては、カバーしてないことが判明。そりゃそうだ、置き忘れたふりをして、新しいカメラを要求されたら、保険会社もたまったもんではないだろう。

 帰国してある外国人のインタビュー記事を雑誌で見つけた。日本で一番びっくりした所は遺失物の取り扱いらしい。日本人は拾い物があったら、交番に届けるのを当然と思っている。これが、外国人には奇異に感じるらしい。ドバイでの遺失物が警察や交通センターに届けられないのは、世界的にはごくごく当たり前のことなのだろう。遺失物のデータベースがあって、いつでも検索できるようになっているのは、日本だけ。やっぱり日本は良い国なのだろう。良い勉強になりました。最後まで読んでくれてありがとう。

(2008.6.28.記)


2日目。ドバイは暑い。熱い。しかし湿気がない。乾いています。ただ、長時間、日光の下にはいられません。いつものTシャツと短パンにて活動。地図では歩けそうに思えても、微妙に遠い距離感。移動はほぼ全てタクシーです。さすが原油産出国。ガソリンは約30円/L、安い。なのでタクシーも安いのです。ただ、渋滞が酷く、幹線道路では進まなくなる事がしばしば。なんとかして欲しい。観光初日ではありますが、ビーチ好きのおっさんの希望もあり海水浴をしました。ペルシア湾での海水浴です。塩分濃度が高く、体がぷかぷか浮きました。
夕刻から砂漠サファリに参加。デフォルトのツアーにはサンドボードが無い事におっさんが気づく。ガイドブックにある現地のツアーに急遽電話で変更。英語が役立ちます。また費用も3割も安くなりました。トヨタのランドクルーザに乗り込み、砂丘のアップダウンを疾走しました。砂漠に入る前にタイヤの空気をぬきグリップ調整をします。ドリフトしまくり。ジェットコースター気分です。それにしても壮大な砂漠に感動。何も無いのがある、という感じでしょうか。
その後、キャンプ地へ移動。ひとこぶラクダに乗りました。馬、象には乗った事がありますが、ラクダは初めて。ラクダは、前足と後足の関節を逆に曲げて、ひざまづく事ができます。なので、地上から乗り込めます。しかし、立ち上がる時に速度が早くとても危険です。あとは近場を一周。優雅な気分になります。これに乗って一日移動している砂漠の民を想いました。シンドバッドの冒険やアラビアンナイトの世界です。
3日目。スキードバイ。モール・オブ・ジ・エミレーツ内にある人工スキー場。高さ80m、コース400m。入場料2時間でAED140(約5000円)。灼熱の砂漠の真ん中でスキーができるとはびっくり。さすが金持ちの国。スキーセットを一式レンタル。中は氷点下。外との気温の差で気持ちが悪くなりそうでした。中央に一基のリフト、左側にロープ棟あり。みなさんスキー上手でした。本場ヨーロッパからの観光客なのでしょう。
Wild Wadi Water Park。プールです。終日AED150。波のあるプール、ウォータースライダーなど一通りそろっています。近くの豪華ホテルを眺めながら過ごしました。裸でいると少し寒く感じました。おっさんは、絶叫系のスライダーに挑戦。私は怖いのでやりませんでした。午前にスキーで、午後からプール。一日で一年が過ぎたように感じました。
いざ夕食へ。ドバイ博物館の近くに良さそうなレストランをガイドブックで発見。早速、タクシーにて移動、ところが渋滞にはまる。運転手の荒いブレーキに気分が悪くなる。もう少しというところで、またも車が動かなくなる。歩いて行こう!と途中下車したのが悪かった!おっさんがそのタクシーにデジカメを忘れた。俺が途中で降りようといわなければ!後悔先に立たず。カメラには旅行中の大切な写真データが。。。落ち込みながら、そのレストランにようやく到着。店は倒産していたのか、影も形もなし。悪い事は重なるものだ。
4日目。東海岸 海・山周遊。
バスツアー参加。Dh200(5830)円。
アラビア湾に面した西海岸ドバイから離れ、オマーン湾に面した東海岸を周遊する終日ツアー。参加した日本人は我々2名のみ。そもそも英語のツアー。移動中ガイドさんはひたすら説明し続けていましたが、何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。ドバイを離れると、広大な砂漠と緑のない岩肌むき出しの山、山、山。植物はほとんどありません。途中、絨毯を売っているマーケットなどをまわりました。この写真はミニグランドキャニオンです。
その後、オマーンへ入国。パスポートを持ってこなければいけないツアーだったのですが、我々はそれを知りませんでした。国境で銃を持った警備員がバス内までチェックにきました。モノモノしい雰囲気でした。昼食はオマーンのリゾートにて。昼飯はツアーに含まれておらず、2000円もかかってしまった。たいした食事ではないのだが。その後、おっさんと岩山、砂山を登る。暑くて長時間いられなかった。近くでランドクルーザで遊んでいる人たちがいました。ブームなのだそうです。
バスツアーの帰りは、ホテルではなく、繁華街で車を降ろしてもらう。いざゴールドスークへ。クリークという小さな川を小船で渡る。どうやって乗るのか思案していると、この兄ちゃんが親切に教えてくれる。さらに、ゴールドスークまで案内してくれる。フィリピン人で働きに来ているとのこと。たいへん親切にしてくれた。お礼に日本の硬貨をプレゼント。ゴールドスークはすごい!金銀財宝、お宝の数数々。すごい。オイルマネーでもうかっているのだろう、地元の人が多数。ちなみに、いくらぐらいなのかと、聞いてみるとちょっとしたネックレスなどが数十万円!高いと思うのだが、安いのだろう。ぜんぜん、私にはなじみがないので、さっぱりわかりませんでしたが。
5日目。ドバイ市内観光(午前)。初日に参加すべきツアー。予約の関係で最終日に。すでに、自分たちで訪れている所を日本語で案内してもらう。三日月ホテル→ジュメイラモスク→ドバイ博物館→アブラ(水上タクシー)→スーク。お金と時間の無駄であった。旅行の総復習みたいになってしまった。
午後はダメ押しのビーチ。初日におっさんのビーチ写真をとったが、デジカメ紛失のため、再度ビーチで写真をとることに。二人とも現金なし。タクシーでビーチに向かうも、バックアップ用のアメリカドルで支払い。苦しい。ここのビーチは有料。ちゃんと管理されている。人も多い。デッキチェアで優雅に過ごしました。おっさんの筋肉はすごい。体脂肪率10%?だっけか。
6日目。ビーチの後、ホテルの好意により、シャワーを借りられた。ナイスなサービス。その後、そのまま、空港へ。最終日は、機内泊となる。かなり疲れていた。ドバイ空港の写真はこちら。びっくりするほど大きい。これが空港?という感じ。これじゃ、日本のショッピングモールよりでかい。さすがは、オイルマネーの国。さらに、空港内にモスクもあった。
そんでもって、これは香港空港での乗り換え。いわゆる深夜の移動となり、飛行機の中では爆睡。約8時間寝てました。行くときはずっとゲームをしていたのだが、帰りはただ眠るのみ。あっという間である。食事が来たのもわからず、眠る、眠る。おっさんは、映画とか見ていたようだが。本当に眠たかった。無事、日本に帰国できてホットしました。やっぱり、日本が一番。

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