セブ旅行記(2010.05.01.〜2010.05.05.)

新年会でダジャレのYさんが「GWにみんなでセブ島でも行こうか!」と宣言。おっさんの新婚旅行は3月を予定。そんなに連続して海外旅行とは、経済的にも無理だろうと思っていました。HISでチャーター便のセブ島ツアー有。それも、今話題の茨城空港発着。ポッキリ15万円。GWど真ん中のツアーにしては激安。2月後半には仮予約を終了していました。おっさん夫婦とダジャレ吉田さんと私。不思議なメンバーの旅行のはじまりです。

気軽に行けるセブ島。グアム、サイパンより少し遠いだけ。飛行機で約5時間、近いです。どちらかというと、茨城空港へのアクセスが問題。どうやって行けばいいのだろう。調べました。
      ・車ルート:練馬区→外環高速道路→常磐自動車道
      ・電車ルート:上野→石岡→バス
集合時間は午前9:00。早いです。どうしたものか。出発日は5/1、GW初日のため混雑が予想されます。おっさんたちは車移動。私は安全確実な電車ルートを選びました。朝は5:30発の地下鉄。眠かったです。おっさんたちは恐れていた渋滞につかまる事なく、順調に移動。お盆の時期さえ外環はそんなに混まないとのことです。当初の不安をよそに、順調に旅行がスタートしました。(2009.6.10.記)



ダジャレのYさん。またの名をハードディスカウンター。行く先々で、厳しい、そして激しく、またせつない、値切り交渉を展開します。本当に厳しい。そしてしつこい。一切の妥協を許しません。私とおっさんの旅行では、多少の価格交渉はするものの、まぁいいか、程度で交渉を終えます。多少の妥協で、お互い気持ちよく交渉が成立するのであれば、構わないからです。Yさんは違いました。現地の生活レベルを丹念に調査したうえで、これぐらいが現地の相場として妥当、これ以上、価格を譲るのは、現地の人にとっても、良い事ではないという持論を展開し、日本円でいうところの、10円、20円のラインまで、ギリギリの交渉が長時間にわたって続きます。ハードディスカウントはまさに戦争、ハードディスカウント後は、数十年草木も生えてこないでしょう。我々のために、厳しい交渉をしてくれているのはわかるのですが、いつのまにか、相手の方に感情移入してしまい、「そこまで価格をさげてもらったらたいへん気の毒だ。そこまでやらなくてもいいのに。」と、とても心が痛みました。。私だけでも、少し大目に払って、現地の人に少しでも喜んでもらおうと思うのですが、そうもいきませんでした。そうした瞬間に、「何しとんねん?」的な空気が流れるからです。以下、お金やら、ハードディスカウントにまつわるエピソードをまとめてみました。

到着後のセブ空港。銀行両替所。交換比率、10000円で4500ペソでした。まさか空港の正式な銀行でボラないだろうと、早速両替を済ませました。ここで、Yさんのひとこと。「何しとんねん。値切りは旅の醍醐味やん!」。「え?空港の両替所で値切り交渉なんてできんの?レートは決まってるじゃん。」これが普通の人の感覚だと思います。まさにこの瞬間が、ハードディスカンターの誕生の瞬間です。
ハードな交渉のスタートです。空港にはいくつかの両替所があり、全て同じレートを提示しています。どう考えても、どこかひとつだけがレートを変えてくれるとは思えません。しかし、Yさんはくじけません。得意の大きな声で、時に威圧的に、粘り強く、交渉が続きました。軽く30分、どういうやりとりをしているのだかよくわかりませんでしたが、銀行側の両替を拒むような仕草が続きます。八方手をつくしたようですが、結局、まけてはくれなかったようです。そりゃぁ、そうでしょう。空港の銀行なのですから。ところがです。粘り強い交渉により、奇跡がおこりました。4500ペソのはずが、5500ペソもらったようです。日本円で2000円も多いです。両替の人が間違ったのでしょう。明らかにもらいすぎです。返金すべきです。ところが、Yさんは何も気がつかないそぶりで、その場をやりすごしました。私が返金した方がいいよ!主張しましたが、聞き入れてもらえず。逆に、銀行の人に気づかれないように、そそくさとその場を後にしました。この後に勃発するフィリピン人たちとの数十ペソの攻防がなぜ必要だったのか、疑問になる最初の出来事でした。その後、空港を離れ、バスでホテルへの移動中、レートのいい両替所に止まりました。レートがいいといっても10000円が4550ペソ。たったの50ペソ(100円)です。私は全く気にならなかったのですが、Yさんはその後もとても気になったようで、空港で両替しなければ良かった!ととても悔しそうだったのが、印象的な出来事でした。(2010.07.19.記)



二日目の夜。夜景を見にトップスという山までタクシーにのる事になりました。ホテルでタクシーの適正価格を事前に聞いてみました。1000ペソ(約2000円)でした。ホテルのスタッフは信用できるでしょう。ホテルの入り口でタクシーが待機していました。値段を聞いてみると、2000ペソ(約4000円)。話が違います。それも倍の価格。運転手と交渉しましたが、聞き入れてもらえず。どうしたものか。ここで、Yさん、周りをキョロキョロ。なんと、別のタクシーに目をつけました。そして、ハードディスカウントのスタートです。慣れた感じで、値段交渉。なんと、1000ペソで交渉を成立させました。すごい情熱です。この状況を見守っていたホテルのスタッフも笑っていました。ここまで執拗にディスカウントを迫る日本人はそうはいないのでしょう。Yさんはその後、私が交渉していたタクシー運転手に、「後ろのタクシーは1000ペソと言ってるデ!」と迫りました。そういわれたドライバーは、苦笑いをしてはいましたが、1000ペソで了承、我々を目的地まで、連れて行ってくれました。Yさんのお手柄!、Yさんすごい!という周りの人たちのまなざしに、Yさんは鼻たかだか、「ここまで、やらな、いかんで〜。」。この後、ますます、ハードディスカウントがエスカレートしていくことになります。

フィリピンのタクシーにはメーターがあるはずです。ガイドブックにもしっかり書いてありました。しかしながら、旅行中一度もタクシーのメーターを見ることはありませんでした。正しく運用されているのか、はなはだ疑問です。タクシーの運ちゃんは、日常的に価格をつりあげ、外国人をカモにお金を稼いでいるようにも思えました。そういう意味で、ハードディスカウントは世の中の正義のために必要なのかもしれません。

三日目は、タクシーを1日チャーターしての、島内観光を予定していました。このドライバーさんと値段交渉。低めの設定から交渉を始めるハードディスカウントです。夜景を見た帰りの車の中、延々と値段交渉が続きました。フィリピンの生活などの雑談をしたいところですが、ここはディスカウント優先となります。寂しい話です。4000-6000ルピーの攻防が延々と続きました。私やおっさんは後部座席。運転手隣に座ったYさんの大きな声が車中にひびきました。(そのくらいでいいんじゃないか、と何度も心の中で思ったものです。)最終的に、5000ルピーというところで、ゲームオーバー。明日もお願いする事になりました。

このタクシーのドライバーさんは24時間勤務。このまま、近くで車中泊をして休み、明日の朝、ホテルまで迎えに来てくれるとのこと。頭が下がります。実は、夜景を見た帰り、我々をレストランまで連れて行ってもらい、ドライバーさんは外で待っていてくれました。とても優しいドライバーさんです。しかし、Yさんはこう言っていました。「1000ペソでもなまぬるい。現地の年収を考えれば、かなりの額のはず。」私はそんなドライバーさんがたいへん気の毒に思えたエピソードです。

3日目。カワサン滝公園。セブ最大の滝が流れている観光スポットです。タクシーで到着するやいなや、大勢のガイドに囲まれました。皆、Tシャツに番号が書かれています。どうやら、公園で正式に認定されているガイドたちのようです。年齢にして高校生ぐらいか。特にお願いしていないのに、ずっとついてきます。不気味です。彼らいわく、「カワサンツアーガイド」とのことです。入り口で入場券を購入し、いざ公園内へ。大きな滝があり、滝つぼあたりが、泳げるようになっていました。そこで、1時間ぐらい過ごしたあと、さらに上流へ。全て、ガイドさん連れです。なんだかんだで、いろいろからんできます。写真とってくれたり。チップ目的だろうなぁというのは、うすうす伝わってきました。

一通り、案内が終わり、タクシーにもどりました。ガイド料金の請求が始まりました。100ペソ/人x4人で計400ペソ。800円です。そのくらい払ってあげてもいいのですが、Yさんの顔が、厳しくなっていました。「まさか、請求どおり、出すんじゃぁないだろうなぁ!このボケ!」という激しいオーラが出ていました。私もそのオーラが怖かったので、少しはディスカウントをしてみました。それが、200ペソ(約400円)です。ガイドたちも引き下がりません。「バカにすんじゃない。これじゃぁ、受け取れない。」と断り、最初の要求どおり、400ペソを要求し続けます。たいした額ではないのです。全額を渡してもいいのです。しかし、Yさんがこちらを睨んでいます。すごいプレッシャーです。心の葛藤がありましたが、あえて、あと30ペソをプラスして(実はこれしか渡せるお金が無かった。))、230ペソでどうかと聞いてみました。しかし、ガイドたちは拒み続けています。「これを受け取ってもらえないのであれば、一切、ガイド料を払わない!」と言いました。彼らも頑固です。まだ拒んでいます。こういう交渉に慣れているのかもしれません。何も渡さないのも、心が痛むので、230ペソを無理やり渡し、その場を逃げるように後にしました。その時の彼らの言葉がいまだに忘れられません。

            「Never Come back !(二度と、来るな!)」

確かに、1時間ぐらいで、あの金額を要求してくるのは、いかがなものかと思います。しかし、我々がガイドを頼んだのではないのです。たいした額でもないので、渡しても良かったかなぁとも思います。でも渡してしまうと、また次の観光客も、同じように請求されてしまうでしょう。とても難しい選択です。とにかく、この旅行では、お金をせびられ続けます。たいへん、あと味の悪い旅行です。(2010.07.28.記)



帰りのタクシー。ドライバーがごねだした。帰りの時間が予定よりずいぶん遅くなったから、「もっと金を出せ!」とのこと。困ったものです。あと1000ペソ(約2000円)、追加で要求してきました。このまま終わっていれば、親切なドライバーさんだったなぁ、と気持ちよく1日を終える事ができたものを。「また、金かい!」的に、少々がっかりモードに。ドライバーさんへの執拗なYさんのハードなディスカウントで追加料金500ペソでなんとか落ち着いたのでした。しかし、ドライバーさんは気分を悪くしたのか、その上乗せ額では不満なようで、我々をレストランにて降ろし、そのまま帰ってしまいました。寂しい話です。夕食後、別なタクシーを改めて呼び、ホテルにもどりました。その料金は200ペソ。実は総じて安かったのです。(ところが、この判断が、後でもっと大きな損失になるのでした。旅行記の後半にレポートします。)

四日目。ゴルフをしました。ゴルフ場までホテルから2時間ぐらい。タクシーです。朝、ホテル前でタクシードライバーと交渉。ゴルフ場へ送ってもらって2時間、プレー中(約5時間)は待っててもらって、帰りにホテルまで送ってもらい(2時間)、全部で2000ペソ(約4000円)で交渉成立です。安いです。昨日の1日チャーターが5000ペソ、高かったのかもしれません。我々のプレー中、ドライバーさんは、ビーチマットを道路に敷いて、日光浴をしていました。こちらはこういうビジネススタイルなのでしょうか。そんな無駄な時間があったとしても、仕事にありつけているだけマシなのかもしれません。実は、この日のプレー時間は、数時間延びてしまいました。多少の追加料金を支払ってあげるのがマナーというものでしょう。

さて話は変わってゴルフ場。私にとっては初のコースデビューになります。なんと、フィリピンでは殿様ゴルフ。ひとりひとりに、キャディーさんがずっとついてくれます。中年のおっさんや若い兄ちゃんです。猛暑の中、打ったボールを懸命に追ってくれます。アドバイスもしてくれます。しかし、献身的なフォローには理由がありました。チップです。このゴルフコースでは、表向きにはチップは払わなくて良いシステムのようです。そのためか、キャディーさんは、時々小声でこっそり、「チップをちょうだい。」と要求してきます。それも、「コースのオーナーには言わないでくれ。」と言うのです。また、「子供が生まれるんだ。」と情に訴えてくるのです。また、ゴルフコースの周りに掘っ立て小屋がいくつもあったのですが、あれが彼らの家だと言うのです。本当に貧しそうな家です。真偽は定かではありません。この旅行中、現地の人は、子供が産まれたばかりだったり、誕生日だったり、新婚だったり、不自然にオメデタイ人たちが多すぎます。チップを多くもらうためにマニュアル本にでも書いてあるのかもしれません。

さて、プレーが終わりました。私のキャディさんは私に100ペソ(約200円)を要求してきました。キャディさんのおかげで、とても楽しくゴルフができました。感謝もしているので、要求どおりに渡しました。そして、気持ちよくわかれました。Yさんたちのキャディさんは200ペソ要求してきました。私は途中で長い時間休憩をしていましたが、Yさんたちはフルコースをまわりました。実働時間が違っていたため当然です。ここから、ちょっとした騒動となりました。Yさんたちは、その要求を断固断り、150ペソにハードディスカウントしました。その態度に腹をたてた若手のキャディさんはその150ペソさえもを受け取らず、怒って帰ってしまったのです。こちらも気分が悪いものです。たいした金額(日本円で100円程度)ではないので、要求どおりに払ってもよかったのでしょうが、そこはYさんの主張する正義なのです。着替えを終え、外にでました。さっき150ペソを受け取らなかったキャディさんが、仲間たちと待ち構えていました。殴り合いの喧嘩にでもなるんじゃぁないかという感じの、嫌な雰囲気でした。おっさんは、先ほどのキャディさんの態度をとがめることなく、150ペソを渡し、お礼をいって、その場をあとにしました。あんな大勢で我々を待ち構えているなんて、暴走族の抗争のようで、とても怖かったエピソードです。


帰りのタクシー。プレー時間が予定より数時間長くなったのと、帰りに食事をしたくなったという事で、またハードなディスカウント。追加料金の500ペソ(約1000円)の攻防が延々と続きました。(価格交渉はもううんざりです。)

「疲れただろうから、マッサージへ行かないか?」とドライバーさん。私は露店で怪しいDVDを見たかったので、ふたてにわかれることに。別行動のYさんたちはマッサージへ。500ペソ(約1000円)で1時間。お店に到着するやいなや前金を要求。言われた事には絶対にそのままでは従わないハードディスカウントなYさん、前金を強く拒否しました。それでも引き続き前金を要求してくるマッサージ店のスタッフ。セキュリティの警備員になきつくも、相手にされず。そのまま、店を出てしまったとのことでした。いたるところで、お金でひっかかるものです。その後、やる事もなく通りをブラブラしていると、怪しい客引きの兄さんに呼ばれ、トライシクルという現地の乗り物で移動。そこで待っていたのは、胸に番号札をつけた数十人の女性たち。なんとそこは、怪しいお店だったのだ。一緒に行ったIちゃんの話では、みんなブスだったらしい。よくもまぁ、女性のIちゃんをそこに案内したものです。そのまま、そこを退散。その後、近所の子供たちとTVゲーム勝負。村中の子供たちが一挙に集結したそうです。(あいにく私はその現場に立ち会えず。残念。)

帰りに、タクシーのドライバーの機嫌が悪い。どうやら、マッサージ店に入らなかったので、お金をもらえなかったらしい。まぁそこは何とかというわけで、2500ペソ(追加料金500ペソ含む。)のまま、無事ホテルまで送ってもらいました。



四日目の夜。ハードディスカウントのYさん。デジタルカメラが見当たりません。いろいろ探しましたが、見つかりません。我々もあらゆる手段で探しました。撮影した写真やビデオを全てチェックしました。3日目のホワイトビーチのビデオにしっかり写っていました。そして、4日目の朝には紛失していたようです。思い返してみると、あのタクシー。1日チャーターしたタクシーです。帰りのハードディスカウントが決裂して、我々をレストランに置き去りにしたタクシーです。(あの時にハードディスカウントしていなければ。)これまでの、ハードディスカウントを全て足し合わせても、余りある大きな損失です。次の日に、ホテルのスタッフにドライバーへ問い合わせてもらったものの、連絡とれず。日本に帰ってからも、メールを出すも、結局返信はありませんでした。旅行先での事件、事故は全て、自己責任です。人を攻めることはできません。みなさんも、海外旅行の際には、十分注意しましょう。ハードディスカウントもほどほどに。(2010.08.08.記)



1日目。出発。茨城空港。隣はおなじみの百里基地です。4月に開港したばかり。空港内はHIS一色。この日、HISのチャーター便が5便、海外へ向かったようです。飛行機へは徒歩、タラップで乗り込みます。移動途中にYさんがタバコを吸ったため、係員に注意されるというハプニングもありました。11:00発→15:15到着。ホテル到着後、いざ海へ。違法な?ツアーの売り込みなどがうるさい、うるさい。結局、ここで、明日のツアーを決める事に。確かに安かったが、大丈夫かいな。そんなこんなで、夜は近くのシーフードレストランで、大きなロブスターやカニをたらふく食べたのでした。
2日目。アイランドホッピング。昨晩のホテルの海で仮契約したツアー。HISの半額以下。安かろう、悪かろうでした。船で島へは上陸せず。船で1日過ごしました。また昼食に赤い謎の鶏肉が。微妙です。気分が悪くなったのは昼食後。我々が食べ残した残飯を同行していた人が食べていたのを目撃したのです。フィリピンは貧しい国とはきいていましたが、本当のようです。今回の旅行ほど、さきざきで、お金をせびられた事もありませんでした。後半は、追加料金で、ジェットスキーにのりました。
2日目夕刻。ホテルのプールでのんびり過ごす。ホテルは、コスタベリャトロピカルビーチホテル。ヤシの木が生い茂る緑豊かなリゾートホテルでした。プライベートビーチ有り。夜はタクシーで夜景がきれいなトップスまでタクシーで移動しました。セブシティやマクタン島の夜景が一望できてとても開放的な場所でした。月がとてもきれいでした。ここでおっさんの名言「ムーン、イン!」。月を入れて写真を取ってください。の意味です。十分、通じると思うのですが、あとで、Yさんに茶化されていました。
3日目AM。タクシーを1日チャーターしての長距離移動。まずは、カワサン滝公園へ。セブ最大の滝が流れています。滝つぼのあたりは泳げるようになっていました。また、さらに上流にも小さな滝がいくつかあり、ちょっとしたトレッキング気分です。現地の人が滝つぼめざして飛び込んでいました。気持ちよさそう。ホテルからここまで結構かかりました。3時間ぐらいです。またここのツアーガイドの最後の態度が悪かった。上記の旅行記を参照してくださいね。NEVER come BACK!
3日目PM。ホワイトビーチ。広々とした砂浜がパウダーサンドになっている極上ビーチ。到着は午後4時。かなり遅くなってしまいました。極上?とまではいかないまでも、そこそこ広かった。おっさんたちは、浮き輪で遠くまで泳ぐ。海底が突然深くなっており、無数の魚が群れをなして泳いでいたとのこと。本当に凄かったらしい。帰りは、韓国焼肉屋が閉店していたため、日本料理のお店へ。
4日目。ダジャレゴルフ。クラブフィリピノ。セブ島の山中にある難関コース。アップダウンの多い上級者コース。コース初体験です。炎天下でのプレイ、体調が心配でしたがなんとかなりました。Tシャツでプレイしようとしていましたが、襟が無いとダメとのこと。いろいろマナーがあるようです。1人ずつにキャディーさんがついて、とても親切にフォローしてくれました。
5日目。なんだかんだとお金をせびられ続けた旅行でしたが、暑さに倒れる事もなく、無事帰国できました。GW最終日のため空港も混んでいました。帰りは、石岡駅近くで、旅行中に食べられなかった焼肉を食べて、私は電車、おっさんたちは車で帰りました。帰りも道路の渋滞にまきこまれる事なくスムーズだったそうです。


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2010.06.19.更新
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